あまりに巨大な

ここのところ毎日報道される「事業仕訳」を見ていると、なんだか「バカバカしい」気分になる時がある。


歴史を紐解けば、どんな国家も長期政権が続くと肥大化する。

歴史の笑い話として、犬の奉行があったとか、

妃の洋服を管理する役所があったとか。

事業仕訳もそんな様相を呈しているのではないだろうか?


民主党の仕訳人の質問の役人の答えが

「必要だから必要だ」とか、

「無駄なことだとは考えたこともない」とか、

答えになっていない答えが次々に出てくる。

誰も今まに「事業の必要性」など考えなかったのだろうか。

国家というベールは、かくも深く暗いものであったのかと、今更ながら驚きを隠せない。


でもこれは役人に限ったことではない。

私の以前に勤めていた民間会社でも似たようなことは起こる。

だれがどう見ても無駄な仕事を廃止しようとすると、

隣の部門から横槍が入って中止になったとか、

大量の無駄な資料作りを止めようと思ったら、

後日の批判を恐れた上司より「自分が変わったらやってくれ」とか。

効率を重視すべき民間企業でも大きな会社になるとこんな風なのだから、

役所(公務員)なら推察して知るべしである。


我々再生の仕事は実はその「無駄」をなくすことから始まっている。

事業の無駄、資産の無駄、人の無駄、

すべてをシンプルにすることで「不採算企業」は「黒字経営」となる。

無駄のない経営は決して「赤字」になることはない。


日本も今や「倒産寸前」。

今は再生を目指し、すべてをシンプルする時。

改革は大いなる痛みを伴うのだろうが、

痛みを恐れては再生することは不可能である。

何を残し、何を廃すかを見定めたら「即実行」あるのみ。


しかし相手はリバイアサンのような巨大な無駄の塊。

いつになれば「再生」できるであろうか。




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