事業再生の現場から

兵どもが夢の跡

またまた過去を振り返っての「昔話」ネタです。

昨日の私は、古河市(茨城県)から館林市(群馬県)へ車で移動していました。

国道354号線を群馬方面に向かって、ひたすら西に走るのです。

茨城県から群馬県というと凄く遠い距離を移動したように聞こえますが、実は古河市は茨城県でも最西部にあり、群馬・埼玉・栃木の3県と県境を有する土地柄です。(余談ですが、古河市と群馬県・埼玉県の県境にあたる“渡良瀬川”に掛る橋は「三国橋(みくにばし)」と言いまして、その昔は常陸・武蔵・上野の三国の国境だったのだと思われます)

それはそれとして、私は元の勤務先で古河市内の支店に勤務していた時期があります。

H9年からH12年の間でしたが、この間は当時の呼び方で言うと「不良債権回収専担者」という立場でおりました。

読んで字の通りの業務でした。 前にも書いたかも知れませんが、私の銀行員時代で一番勉強になった時代だったと思います。

不良債権化した貸出金の“回収極大化”を目指して知恵を絞り汗を流した(当然冷や汗も…)経験は得難いものであり、パターン化された通常業務とは違った醍醐味があって結果も明確な事もあり、自分には“向いている”仕事であったような気がします。(いろんな人達との出会いもありますしね♪)

それで「昔話」ですが(もちろん言える範囲ですよ)、昨日車で三国橋を越え館林方面を走って行くと、とても懐かしい風景が広がって来ました。

実に13年振りくらいに通る道ですので、途中「あーっ、こんなことがあったな」とか「あん時はひでぇー目にあったな」とか、目に飛び込む風景が変わる度に当時の記憶がフラッシュバックして来ました。

「そういえば○○町といえばO氏の物件があったな…」

一番先に思い出したのは、経営していた「パチンコ店」が破綻した後行方不明(と言う事になってましたが)になり、担保物件に産業廃棄物が山のように積まれてしまったO氏所有の田畑が、これから進む国道354号沿いにあると言う事でした。

とにかくこの案件には苦労させられたので、良く憶えていたのです。

田舎の国道なので13年経っても田園風景はほぼ当時のままで「あの先のカーブを曲がると産廃のヤマだったよなぁ」と思い出しつつ道なりに車を進めると、記憶の中で見慣れたヤマ(土砂)がありません。

産廃のヤマに代わってJAが経営している葬祭場が建っています。

300坪以上ありそうな大きな建物+駐車場も300台近くは停められそうな立派な葬祭場に代わってました。

「ありゃーっ、凄い変わりよう! ずいぶん綺麗な土地に変わったなぁ」感嘆の声をあげてしまいました。

国道の反対側には「道の駅」や全国チェーンのホームセンターも開業中で、田んぼが拡がる田園風景が、その一帯だけは周りの雰囲気と全く異なる商業ゾーンに…。

「夏草や…兵どもが」本当は反対の“栄枯盛衰”で使うべきなのでしょうが、私の頭には瞬間的にその詩が浮かんだのです。

次回に続く…。

 



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