事業再生の現場から

兵どもが夢の跡②

昨日の続き…

O氏と私は直接的な面識はありません。

私が当該支店に転勤して行った時には、O氏は既に不良債権先であり「行方不明」状態でした。

「行方不明」と言うのは、住民票所在地にO氏が居住せず連絡も着かない状態にあったからですが、不良債権を回収しようとする私達(担当者の私と上司の次長)の前にO氏がいろんな形で立ちはだかる事になり、その分私達は普通の銀行員では経験できないような貴重な体験をさせて貰う事になったのです。

一例を挙げますと、O氏が銀行から借入する際に担保提供した「共同住宅=アパート」を競売に掛けた時の話。

アパートにはもちろん銀行を債権者とする根抵当権が設定されていましたが、誰が考えたのか(たぶんO氏かその周辺の人間でしょうね)、競売申立準備のため登記簿謄本を取ってみると、既に1年以上前に当該建物に“短期賃借権”が設定されている事が分かりました。

確か平成14年の民事執行法改正か何かで、不良債権処理促進を図る目的で「競売妨害」を防止すべく、(根)抵当権設定後の短期賃借権の適用期間が大きく制限されたのだったと思いますが、当時は短期賃借権による建物占有者は5年間競落人に対抗できましたから、この短期賃借権が設定されて実際に「占有」が認められると、競売で買い受けた人の所有権が制限されるようなモノですから、担保物件がそうされてしまうと「競落人」はなかなか現れなくなってしまいます。

ましてこの物件を占有したのは、戦闘服に身を包んだ坊主頭の右系の人達でした。

数人が駐車場に街宣車を置き、居住していたのです。

こんな物件、誰も買おうとしません。

一旦申し立てた競売事件は「不落」が続き、規定によって3度目の競売が終了した時点で「取消」となってしまいました。

もうひとつは、昨日お話した「産廃のヤマ」です。

元々は国道沿いの雑種地で一部に「農地」が入り組む広大な土地でした。後で分かった事ですが、この付近は「農振地区」と言いまして「農地転用」が非常に難しい地域なのだそうです。

当時の支店や審査関係部は、そんな事もたぶん知らず(調べず)担保に取って融資したのでしょう。

私が転勤してO氏案件を担当するようになった時には、既にこの物件上に7~8メートル近い産業廃棄物のヤマが出来上がっていました。それも左右100m以上奥行も50m以上はあるくらいの堆積物ですから、ホントに山という表現がぴったりです。

これも競売を申立てた後、裁判所の調査で分かった事ですが、O氏は産廃業者から「権利金」を受け取り当該土地の使用を業者に委ねる旨の契約を交わしていました。

その実態がなかなか分からず、朝から晩まで次長と伴に現地に張り付き、警察に連絡したうえで「ダンプの運ちゃん」を捉まえては「誰がどういう権限で」土砂の持ち込みを許容しているのか調査したりもしました。

こちらの制止を振り切って強引に出て行く“強者(つわもの)”も居ましたからね(汗)、良く無事で済みましたよね(笑)。

その後裁判所に「土砂持ち込みの禁止」を求めて“仮処分”を申し立てるためでしたが、結構“意気に感じて”という感じでやってましたから毎日が楽しかったですけどね。

そういえば、このO氏の居住実態を探ろうと、次長とふたりで「情報」があったマンションの入口を徹夜で見張ったこともありましたっけ。

ここまで来ると刑事ドラマですよね(笑)

あっ、書ききれないや。 スミマセン、また明日に続きますね。



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