事業再生の現場から

リスケの出口が見えた!!③

忘れもしない3年前の2月25日、私は給料日の支払を終えた後の事務所に呼ばれ、A社長と実弟B氏の3人による鳩首会談が行なわれました。

ズバリ、4月末(GW前)での廃業についてです。

従業員の解雇や銀行への支払停止と当面の資金確保、不渡倒産回避のための弁護士依頼等々、今だから笑って話せる内容です。

社長も弟氏も私も、本当に「もはやこれまで」と思い、翌月には当たりを付けてあった弁護士事務所に行こうとしていました。

 

その折も折、東日本大震災が東北・関東地方を襲って来ました。

復興・復旧を支える現地スタッフを迎える施設には、A社がかつて取り扱っていた商材が必要です。

と言うのも、平成7年に起きた阪神大震災の時も、A社が加工した商材がその復興に大いに役に立っていたのです。

後から聞いた話ですが、A社長は平成7年当時に繋がった人脈を頼りに取引のあった商社を訪ね、東日本大震災の復興に再び自社の商材が役に立てないか、ダメ元で営業に出向いたんだそうです。

商社が満足する数量を短期間に確保するためには、近隣同業他社の協力も必要でした。

A社長は必死になって仲間を集め、「復興に役に立つのだから…」と説き伏せたそうです。

結果、出荷が始まった3月下旬からA社の売上は、震災前の実に3倍にもなりました。

今でも「震災を踏み台にしたようで、申し訳ないような…」と、当時を語るA社長は控えめに語りますが、私は「火事場泥棒みたいなことをした訳じゃなく、当社の製品を被災地に供給し続けたことで復興の役に立ったんですから、何も卑下することはありませんよ。堂々としましょうよ!」と社長を励まします。

因みにこの商材は、被災当初ほどの需要は無いようですが、現在でも商社向け供給は続き、A社の貴重な財源となっています!(^^)!

 

平成23年度は4月から6月まで工場のフル稼働が続き、最終利益まで黒字に転換。

リストラで身の軽くなったA社は、以降24年度・25年度と順調に利益水準を切り上げ、当初0だった返済元金も現在では50万円ずつを返済している外、一昨年からは月50万円ずつの積立預金ができるまでに資金繰りを改善して来ました。

当初はリスケに文句を着けてきた下位行も「業績回復が顕著ですね、どうやったらそんなV字回復できるんですか?」と、おべんちゃらを並べる始末…。

そして冒頭メイン行の「肩代りするから今期頑張れ!!」の励まし。

ようやくリスケの出口が見えて来たぞ!(^^)!

 

 

 



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