事業再生の現場から

教育資金の贈与制度

ブログを書いている途中で電話が入り中断を余儀なくされましたが、そのせいかどうか… 自動的に下書き保存する機能がうまく働かくなり、せっかく書き終えた筈の内容の90%以上が「泡」と消えてしまいました(ToT)

たまにはこんなこともあるんですね。

修復が叶わないことを知り、途中でブログを放り出し午前中の任務に出発、午前中の仕事を終え、再びPCの前に座りました。

ここまで余談&今朝の反省&報告です(笑)

 

さて、表題。(また同じことの書き出し…)

昨年4月から始まった祖父母から孫子(まごこ)への教育資金贈与信託の残高が、1年で4,500億円に達したことに、某有名コメンテーターが懸念を表明していました。

「裕福な祖父母を持つ子弟は教育環境がさらに良くなるのは良いが、それ以外の子供たちは教育機会を奪われ、貧困の連鎖が続いてしまうのではないか? 政策によって“平等に与えられるべき”教育機会均等の権利が奪われるのはおかしい」との趣旨だったかと思います。

仰る意味は分かりますが、私は「教育資金の贈与制度」が悪い政策だとは思いません。

消費意欲に乏しい「シルバー世代」から資金需要が旺盛な「現役世代」におカネを移動させ、消費に使わせたいとのマクロ的意図があって始まった政策ですし、今はそういう概念が薄まったのでしょうけど、「家」や「一族」において子弟の教育のため、世代を超えて協力し合うことは昔から行われて来た事です。

おじいちゃん・おばあちゃんは、孫の成長に役立てばと思えばこそ、体に気を付けて長生きしようと思うでしょうし、そもそも「一家」「一族」をあげて子供の教育をなんとかしたい、との行為に「贈与税は払ってね」ということの方が無理があるように思えます。

「金持ち優遇だろ!!」という考えもあると思いますが、我々貧乏人は「金持ちのおこぼれ」がないと、良い生活なんて望めないんだと思います。

「お金を持っている人にはたくさん使って貰う」こういう気持ちで居ないと、社会全体がうまく回らないのではないかとも思います。

人それぞれです、八百屋さんは野菜を売り、鉄工所はビルの柱を作る。

漁師は魚を獲り、農家はコメや野菜を作る。

そしてお金持ちは、お金を使うのがその役割だと思います。

教育資金の贈与制度、時限立法の期限延長を望む声もあるそうですが、贈与する金額はともかく、そもそも自分に孫ができるのかという不安を払しょくしてくれるような行動が、いまだ子供達に(次男は大丈夫かぁ)現れないってことが…。

それが問題だぁ。

 

 

 

 



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