事業再生の現場から

廃業の決意から不動産賃貸収入で弁済へ

昨日は晴天に恵まれましたが、今日は一転、12月らしい冷え込んだ一日となりました。

お陽様の顔が拝めないと、途端にこんな寒い思いをします。

「お天道様」…大事ですね。

 

先週の事ですが、この3年近く財務顧問としてお付き合いをいただいたA社の社長ご夫妻が、わざわざ宇都宮の弊社までお越しくださいました。

懸案となっていた事業転換が取引銀行の協力もあって上々の首尾に終わり、弊社の手元を「卒業」されて行ったのです。

「最後に…」という事で、わざわざ遠路をお越しいただき(お土産まで頂戴してしまいまして)、この3年間にあった苦闘と最後に笑う事ができた事を「心底」喜んでくださり、私としても納得いく結果となって、代表者ご夫妻の将来収入と家計が破綻せずに済んだ事の(多少なりとも)お手伝いができた事を「誇り」に思えるような案件でした。

 

宇都宮から数百キロは離れた地で、同地の地場産業に従事するA社の社長と経理を担当される奥さまにお会いしたのは、3年前の夏だったと思います。

拙著を読んでくださったとメールが届き、相談したいことがあると、初回は弊社・東京事務所でお会いしました。

学究肌で技術畑一筋で来た社長さんと、社長宅に嫁いで来た事で、いきなり中小企業者の家族として家業に勤しむ事になったサラリーマン家庭出身の奥さま…

業績が好調であればそれでも良かった筈ですが、A社を始めとする国内各所にある「地場産業」に携わる中小企業は、いずこもそんなに楽な経営はしていないのが「実情」です。

A社も「下請けの悲哀」を数十年も感じつつ、先代から引き継いだ事業を続けざるを得ませんでした。

 

転機が訪れたのは、銀行の人事異動で「メイン行」の支店長が替わってからでした。

銀行でも規模の小さい支店は、支店長に成り立ての「若手」支店長にとっての「登竜門」となります。

夢と希望に満ち溢れた現場型“イケイケ”の支店長、本部の企画畑を歩み現場経験が少ないながら行内ではエリート然とした支店長。

支店長もイロイロです…

A社の取引店に赴任して来たのは、某地銀審査部から支店長となって「現場」へ配属となった新任支店長だったそうです。

私も経験がありますが、個人差はあれ「審査畑」で育った銀行員は、やはり中小企業経営者にとっては「難敵」です。

「三つ子の魂百まで」と言うことわざがありますが、審査マン臭は一生モノです(笑)

 

社長によると、同行担当者曰く「様々な」問題点を(いまさら)指摘され、運転資金の融資がなかなか承認して貰えなくなったそうです。

資金繰りに窮したA社は、徐々に銀行返済が遅れ始め…

話が纏まらず長くなりそうですね(-_-;)、続きは次回に譲りますね。

 

 

 

 

 

 

 



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