事業再生の現場から

奨学金破綻問題を考える②

昨日の続き…

奨学金負担の問題は、米国でも深刻なのだそうです。

欧米では「学費は自分で稼ぐ」との考え方が主流だそうですから、稼ぐ手段のない学生時代は「奨学金」で学費を賄い、社会人となって職業を得てから借り入れた奨学金を弁済する方法で、大学や大学院に通う学生が殆どのようです。

日本の場合、弁済を要する奨学金はせいぜい数百万円単位の話だと思われますが、米国では日本円に換算すると、卒業時に2,000万円~3,000万円の奨学金負債を負うケースも珍しくないのだそうです。

米国の有名私立大学(東部のIBリーグ校など)は、年間授業料が800万円~1,000万円以上するそうです。米国社会でエスタブリッシュメント(上流社会)を目指すには、有名校のMBAは最低条件でしょうし、将来的な生涯賃金等を考えると、これだけの授業料を払っても「元」は十分取れていたということなのでしょう。

ただ今現在は、米国でも奨学金の過度な負担が問題になっています。

大統領選挙で民主党の指名を争っているサンダース議員は、公立大学の授業料を国庫負担とすること、つまり学生の負担をゼロにすることを主張して多くの支持を集めていると報道されています。

選挙権を持つ若者は、現状に不満を持っているんでしょうね。

 

翻って我が日本の事情ですが…

戦前は、田舎の貧しい農家の子弟でも、教育を受けて世に出て行くことが可能でした。

陸海軍の幼年学校や士官学校は、無料どころか有給で、しかも将来を約束された身を置くことが可能でした。(現在の防衛大学校や防衛医大とはかなり趣が違う事は間違いありませんが)

軍人にならなくても、師範学校も事業料はかからなかったようで、将来は教員になる夢を持ちながら学問を続けることができたようです。

また政財界の大物や郷土の偉人は、貧しい家庭から預かった「書生」を多く抱え、その教育や人格構成に大きな役割を果たしたようです。

 

国の未来や郷土の将来には、人材が必要です。

教育を受けて社会貢献する意欲ある者に、ある程度の「先行投資」は必要だと思います。

将来どんな形で社会貢献をするのか“一定の縛り”は必要だと思いますが、手をこまねいていると、金持ちの子弟だけのいびつな社会が構成されてしまうでしょう。社会も不安定度を増すことになるかも知れません。

有効な手立てを考え、即実行して貰いたいところです。

 



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